六月第四週


土曜日はサークルの後輩たちがコンテストの予選に出場するということで、お手伝いをしに行きました。べらべら喋ってばかりでむしろ邪魔しちゃったかもしれません。ただ最近は人と話せる機会が全然無くて、この日はたくさん喋れて楽しかったです。


この週は特に書くようなことはありません。頭の中にあったのは、いつも通りの苦悩と感動くらいです。

そういえば一つだけ、過去の自分が正義を貫こうとしていたのを思い出して嬉しかったことは書いておいてもいいかもしれません。

六月第三週


行ったところや見たものについて色々書くのはあまり向いていないみたいで、たった一行にさえすごく時間がかかります。何かしら書いてさえあれば、それは外出した証拠と未来の僕は受け取るはずなので、外の世界については諦めて、僕の中身の変化を中心にしたいと思います。


土曜日はサークルの先輩(2つ上の代で現在はプロのジャズピアニスト)のコンサートを観に本郷へ行きました。内容はソロピアノ演奏+ジャズに関するレクチャーというものでした。

レクチャーは「ジャズをより楽しむために」というテーマで、内容はジャズのアレンジについて、その歴史的変化や楽曲のスタイル例、そしてそれらの区別について(共通の要素をいくつか持つ2つの曲は同じ曲なのか?)でした。僕がこれから書きたいのは、最後の区別についてです。


「区別する」とは、ある集まりに対して何か基準を用意し、それに基づいて「同じもの」のグループをいくつか作ることです。例えば人間に対しては基準を「肌の色」にすれば大雑把に白人・黒人・黄色人、「国籍」にすれば日本人・アメリカ人・中国人、...など。

ジャズの楽曲に対して上のレクチャーでは「音列」・「和声進行」・「拍子」・「調性」・「スピード」・「編成」・「伴奏」・「歌詞」といった基準を挙げ、共通項が多いほど同じ曲とみなすというものでした。

自分では普段あまり意識しないことなので、そのような指摘はとてもためになりました。ところで、僕はそういった区別を他の対象には行うことがあっただろうかと考えました。少し回想した後に驚いたのですが、ほとんどありませんでした。するにしても目に見えるくらいの大きな括り(芸術なら音楽・絵画・彫刻...など)ぐらいです。やろうと思えば出来ないこともないですが、いまいち整理出来た気分にもなれません。なんでだろう。


書いていて更に気づきました。それは僕が、誰とも同一視されたくないと思っているからです。同一視をするということは、本来は少しずつ違う部分を無視するということになります。他人にそれをされるのが耐えられない。

そういう気持ちに改めて気づいた日でした。数学科なのにこんなので大丈夫かな。(数学では同値関係を考えて様々なものを同一視する、という操作を頻繁に行う)もう少し続けたいこともありますが、まだ言葉にならないのでまたの機会に。



六月第二週


ずっと家に篭っていると気分が悪くなるから、週に一度か二度は少し遠くまで出歩くことにしました。ちゃんと出掛けたのかどうかを確かめるため、日記をつけようと思います。


土曜日の夕方は丸の内をぶらぶらしていました。目的は丸善でゆっくり本を眺めることだったのですが、どんなジャンルの本棚の前でも何だか落ち着けなくて、結局は最上階でたまたま開かれていた版画展で何百万もする版画を観ていました。版画には中学生の時に授業で作らされたもの程度のイメージしか持っていなかったのですが、芸術家の作るものはとても繊細で、線の細さといい色合いといい版画でないと表現出来ないものがあるのだと初めて知りました。千住博という人の作品は特にすごかったです。


丸善を出ると、外はまだ明るかったので、皇居の周りを散歩することにしました。皇居ランナーは反時計回りに走らなければならないルールがあるらしく、目の前から走ってこられるのはなんだか嫌なので、僕も反時計回りに歩きました。僕を次々追い抜かしていくランナー達を後ろから見ていると、女の人はお尻がとても大きい生き物なんだなと実感しました。肩も胴も男より細いのに、お尻だけずっと大きい。それを揺らしながらじゃないと走れないのは不便そうだと思いました。たまには景色も眺めつつ、東京国立近代美術館の近くまで歩いて、そこから地下鉄に乗って帰りました。


丸の内はとても綺麗で気に入りました。特に皇居の周りは最高で、わざわざここまで走りにくる人たちがいるのも納得です。今度はもう少し早い時間に行って、皇居の中を散歩したいと思います。