六月第三週


行ったところや見たものについて色々書くのはあまり向いていないみたいで、たった一行にさえすごく時間がかかります。何かしら書いてさえあれば、それは外出した証拠と未来の僕は受け取るはずなので、外の世界については諦めて、僕の中身の変化を中心にしたいと思います。


土曜日はサークルの先輩(2つ上の代で現在はプロのジャズピアニスト)のコンサートを観に本郷へ行きました。内容はソロピアノ演奏+ジャズに関するレクチャーというものでした。

レクチャーは「ジャズをより楽しむために」というテーマで、内容はジャズのアレンジについて、その歴史的変化や楽曲のスタイル例、そしてそれらの区別について(共通の要素をいくつか持つ2つの曲は同じ曲なのか?)でした。僕がこれから書きたいのは、最後の区別についてです。


「区別する」とは、ある集まりに対して何か基準を用意し、それに基づいて「同じもの」のグループをいくつか作ることです。例えば人間に対しては基準を「肌の色」にすれば大雑把に白人・黒人・黄色人、「国籍」にすれば日本人・アメリカ人・中国人、...など。

ジャズの楽曲に対して上のレクチャーでは「音列」・「和声進行」・「拍子」・「調性」・「スピード」・「編成」・「伴奏」・「歌詞」といった基準を挙げ、共通項が多いほど同じ曲とみなすというものでした。

自分では普段あまり意識しないことなので、そのような指摘はとてもためになりました。ところで、僕はそういった区別を他の対象には行うことがあっただろうかと考えました。少し回想した後に驚いたのですが、ほとんどありませんでした。するにしても目に見えるくらいの大きな括り(芸術なら音楽・絵画・彫刻...など)ぐらいです。やろうと思えば出来ないこともないですが、いまいち整理出来た気分にもなれません。なんでだろう。


書いていて更に気づきました。それは僕が、誰とも同一視されたくないと思っているからです。同一視をするということは、本来は少しずつ違う部分を無視するということになります。他人にそれをされるのが耐えられない。

そういう気持ちに改めて気づいた日でした。数学科なのにこんなので大丈夫かな。(数学では同値関係を考えて様々なものを同一視する、という操作を頻繁に行う)もう少し続けたいこともありますが、まだ言葉にならないのでまたの機会に。