四月第二週

二年ぶりに日記を書きます。書いた方がいいと思ったからです。人と話す機会がどんどんなくなっていて、煮詰まるばかりの思考を何らかの方法で薄めなければいけない。もともと真面目な会話をすることはあまりないのですが、自分が意識せず口に出した言葉に対する相手の反応を見る、その刺激が恋しい。ずっと一人で部屋にいると返答してくれるのは自分か猫くらいです。

人と話す機会がないというと語弊があります。一週間に一度くらいは学校に行くし、先生や学生と数学の話をしたりする。そもそも実家に住んでいるから家族とは毎日話している。でもそういうことではないのです。どうしてってそれは自分の延長だったり、人じゃない。人じゃないってどういうことだ。説明するのは難しい。そもそもこの世界の人間のほとんどは僕にとってまだ人じゃないです。きっとこれからも人じゃないと思う。自分のことは人だと思っている。そうしないと始まらないからです。生きていく理由は、人である自分を理解するためです。決してナルシズムではないと思う。どうして自分はそう思うのか、あらゆる興味は結局そこにつきませんか。

何かしらを文章で書いて読み返すことには意味があります。中にいる自分と一度外に出た自分は違うからです。どうしてだろうな。理由は分からないけど、こうすることで擬似的に会話できます。

誰かと話していても相手の中に自分を探しているんだろう。そのことに僕は自覚的です。ただそれは都合のいいものを拾いたいわけじゃなくて、もやもやした疑問の答えを求めています。どんな疑問だ。だからもやもやしているんだって。

邪魔ばかりされて進められない。また今度だ。