五月第一週


所属しているサークルで出場するコンテストに向けて、毎日練習がありました。練習し合奏すればするほど、自分は今一体何をしているのか分からなくなるのがもどかしかったのですが、まずまずの結果が出たのでよかったです。僕がコンテストに絡むと成績が悪くなるという高校以来のジンクスは働かなかったみたいだ。


みんなで良くしようとしてるのに、自分の知っている美しいものとは似ても似つかない何かが出来上がってしまうというのは、不思議によくあることです。例えばこの世界。

脳みそが覚めやすい。兵士にはなれない。間違っているかもしれないものを信じる勇気がないのです。

四月第三週

youtu.be

将来の不安ばかりが頭を過ぎります。それは就職とか結婚じゃなくて、このまま普通に生きて死ぬだろうということです。

たとえ偉くなれてもお金持ちになれても、ただの人間のままで終わりそうだ。普通とは平均じゃなくて、同じような人間が他にもいるということです。

滅多に見れない珍獣になりたいわけでは無いし、始めの気持ちも当然そうじゃなかった。何か目的を見失っています。たとえば今どうしてここのいるのかを見直してみよう。

 

僕が数学を専攻するつもりになったのは、物事を理解する助けになると思ったからです。超人的な感覚は持ち合わせていないから、現象を認識出来ても理解することができない。ですが、現象の数学的な理解なら訓練を積むことによって可能かもしれないと思いました。それは最初の一歩になる気がしています。

同じ目的のために、例えば音楽を選ぶ人もいると思います。僕は世界の解釈を一つ与えてくれるもののことを芸術と呼びたいのですが、最近になって数学も芸術だと気づきました。

 

僕が分かりたい何か、それが一体何なのかそれすら不明なのですが、死ぬまでに少しでも明らめたいと思っています。変わり者を演じたい欲求は、見せかけの理解で自分を安心させたいからでしょう。僕には勇気が必要だ。

 

ところで、上述はおそらく贅沢な悩みと言われる部類に入ります。しかし貧富の差が是正され、明日を生きれるかの不安が薄くなった現代の先進国では、ゆっくり死んでいくような毎日が憂鬱な人は少なくないでしょう。冒頭に挙げた動画、あのアメリカでもこういう曲がヒットしている。

 

四月第二週


ツイッターへたまに流す2行ポエムみたいなのをまとめて日記にしようと書き溜めていたのですが、いっぺんに並ぶと痛さも倍増といった感じで耐えきれず消去してしまいました。ぶつぶつになったものが時間とともに流れていくからいい。ホーム画面からの遡りふぁぼを喰らうと身体が少し痒くなります。


道路を横断する時に、見えない透明な車に轢かれる空想をよくします。それは僕だけに見えない。他の人たちは頑丈な黒い車が大きな音を立てて走っているのを見ています。みんな誰でも見えると思っているから、道を渡ろうとする僕にわざわざ注意したりしない。イヤホンをつけている僕はエンジンとタイヤの音にも気づかない。そして轢かれた。しかし僕は轢かれたことにも気づきません。なぜか身体がすごく痛くて、もう歩き続けるのは無理になったと思います。車は頑丈だから、凹みもせずにそのままどこかへ走り去る。

そんな人生を送る気がします。

三月第四週


院試も終わると特に気分が張り詰めるということはなくなり、どこかへ出掛けるということも少なくなりました。新学期からはお出かけ日記と拘らず色々なことを週刊連載したいので、そのための初動として最近あったことを少しまとめます。


二月の終わり、サークルの卒業旅行でオーストラリアはケアンズに行きました。ツアーに沿った海外旅行は初めてで、毎日イベントがぎっしり詰まっている旅は新鮮でした。グレートバリアリーフ、キュランダ、コアラと抱っこ写真など主要なものは制覇しました。

ところで、街行く人を見ていると、三十代以上で肥満している白人黒人アボリジニがものすごく多い。混ぜ物と油の固まりみたいな現地の食事が肉体を腫れさせる。身体に張り付いている脂肪は自分の一部と思えるでしょうか。


三月の半ば、サークルの春合宿で軽井沢に向かいました。同じく軽井沢にある千住博美術館へはまだ行けていません。暑くなってきて、色んなことから逃げたくなった時のためにとっておいてるということにしましょう。


今日は楽器のケースを新調する予定です。今のケースは大学に入ってから四年間ほぼ毎日持ち歩いていたもので、春から大学院生になる今がちょうど替え時だと思いました。というか、外のカバーが破けて、中身がちょっと見えちゃってるので替えざるを得ません。出掛けるついでにラーメンを食べよう。そのラーメンがおいしくなかった時、一人では抱えきれない大いなる哀しみをここへ投稿します。

八月第二週


一昨日は久しぶりに遠出をして、千葉県は銚子に向かいました。千葉駅から銚子駅に行く電車は一時間に一本しかなく、ゆっくり走る総武本線に終点まで乗っていると、なぜか絶望的な気分になりました。世界の片隅へ迷い込んでいってしまう。ブルーハーツによるとそんなところはないそうですが、さすがに銚子は割と端っこだと思います。

銚子駅には待ち合わせよりも一時間早く着いてしまったので、駅のすぐ近くにあった利根川を跨ぐ大きな橋を眺めて時間を潰しました。

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橋やダムなど、大きいうえに水がある場所の建造物はいったいどうやって作られるのか見当もつきません。こういうものをみると人間の勝利を感じて気分が高揚します。


そもそも銚子へ向かったのは、サークルの後輩たちがそこで合宿をしていて、最終日にあるお披露目演奏会にOBとして顔を出すためでした。最近の出歩くきっかけはほとんどサークル絡みなので、人とも話せて一石二鳥です。


院試が終わったら、たくさんお出掛けをしようと思っています。全国名橋巡りツアーがいい。受かっていたら清々しい気分で楽しめるだろうし、落ちていたらそのまま飛び込めるので完璧です。

七月第四週


今年の夏は暑く眩しくてつらいです。昔から強い日光に当たると頭痛がする体質なので、梅雨が終わると明るいうちは出歩けなくなってしまいました。軽井沢にもまだ行けていません。家で本を読んだり、院試に向けた勉強をしたりして過ごした七月でした。


昨日は久しぶりのお出掛けで、サークルの後輩たちとジャズのライブを観に行きました。やはりプロの金管奏者が出す生音はすごいです。


感想をいまいちそっけなくしか書けなくても、それがそのとき感じたことの全てなんだと思います。


僕は常に一つの立場から、当然偏ったものの見方で判断をします。選択肢は最小限しか持ちません。一番大事なのは決定することだからです。視野が広すぎたり色々な可能性を考えすぎることは決断の邪魔をします。もっと一点だけを見つめられるようになりたい。

七月第一週


どこか晴れた平日に軽井沢へ行く計画を立てていたのですが、日本の梅雨は規則正しく雨を降らせてきたので、実行は今週へと持ち越しになりました。綺麗なものを観れば綺麗な言葉が書けるだろうと期待しています。


うまくいかなかった腹いせに、金曜日は某所へ某インスパイア系ラーメンの冷やし混ぜそばを食べに行きました。地域によっては警報も出ている大雨の中を、ふとともまで濡らしながら行ったのです。ほとんどおもらし状態でお店に辿り着き、30分くらい並んだのちに目当ての混ぜそばが出てきました。これがとてもおいしくて今までの苦労が全て報われた、かと思いきや、とても不味いうえに吐き気を催す外見と食感、まるで給食の残飯を油でドロドロにしたものを無理やり食べさせられているみたいで、一体僕は何のために生きているのかを見失う程の深い哀しみに襲われました。無想転生を体得するかと思いましたが、愛が足りなかったので発現ならずでした。僕はつらいことがあるとラーメンを食べるくせがあるのですが、ラーメンはいつでも僕を救ってくれるわけではないのだと学びました。こうして僕はまた一つ信じられるものを失ったのです。


楽器の練習は2日に1回3時間よりも、毎日1.5時間の方がずっと効果があるというのを実感しました。日々朝練ロングトーンします。